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『夕べの祈り』 2006年4月30日 |
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「あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」 詩篇4:4 |
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先週は、「朝の祈り」と題してお話をいたしました。過去の罪と現在の悲しみの中で、ダビデは主によって安らぎを得て、新しい朝を迎えるということを学びました。今日の聖句は、それよりも少し後に歌われたものだと言われています。新しい朝を迎えた者が、また夕方を迎え、そして眠りに着く・・・このような内容であることから、「夕べの祈り」と言われています。 それにしてもこの聖句は、強烈な印象を与えますね。ずいぶん厳しいようにも思えます。しかしこれは、よく読んだら分かります通り、怒ることを戒めているのではありません。正義の怒りもあれば、人間としての怒り、裏切った者への怒りなど、私たちは色々な場面で怒るのです。それは当然であって、悪いことだけではありません。でも、それが度を過ぎた時、怒りは罪へと移行する危険性があります。それをダビデは、そして聖書は言いたいのではないでしょうか? ダビデは、いわれのない痛みを負って、この歌をうたいました。だからこそ、彼はこのように祈ったのでしょう。 私が神学生の頃は、寮生活をしていました。ある日私が同僚と一緒に寮の掃除をしていると、その彼はいい加減に掃除をしているではありませんか。「神学生ともあろう者が、何てことだ」と私は思い、彼を注意しました。その注意は、むしろ怒りをぶつけるというようなものだったと思います。そんな私に対して彼は、「ごめん、ごめんね」と、すぐに素直に謝ってきたのです。その瞬間、私は頭をハンマーで殴られたような、そんな気持ちになりました。つまり、正しいはずの私の方が、かえって悪いことをしたような気がしたのです。確かに私は、正しいことを言いました。しかしそれは、度を越しており、明らかに悪しき思いへと変化していたのです。 だから聖書は、この聖句を私たちに与えているのだと思います。神様は、ゆっくりと自分のあり方を考えるために、静かな夜を与えていてくださいます。そこで主と交わり、祈り、考えるなら、安らかな眠りと、希望の朝が与えられることでしょう。 |
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ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師 |
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