『主に感謝』  2005年11月20日
「十分の一全部を私の倉に携えてきなさい。これをもって私を試み、私が天の窓を開いて
 あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」
                                                マラキ3:10
 今日は、感謝祭礼拝です。アメリカでは、感謝祭が毎年祝われています。それは、アメリカに移民
した当時の困難、そしてそこから救い出してくださった神様の恵みを忘れないために、それを語り
継ぐためです。ですから本日は、感謝をテーマとしたメッセージを語りたいとおもいます。
 マラキは、捕囚後の預言者です。帰還し、故国復興のために奮闘したイスラエルの民でしたが、
邪魔をするものがいたり、疲れたり、やる気をなくしたりする者もおこり、中には罪の生活に浸る者も
出てきました。ですからマラキは、神様の愛に立ち返り。主を第一として生きるようにと語ったのです
そして神様はマラキを通して、主に対して感謝すること、それを具体的になすことの大切さを教え
られたのでした。
 神様を試みてはならないということ、これは旧約時代の常識ですし、今でもそのような厳粛な思い
を持つことは大切だとおもいます。しかし驚いたことに、神様自ら、試みてよいとおっしゃるのです。
それは捧げ物に対して言われたことです。私達が神様を試しても良いたった一つのこと、それが
捧げ物(献金)なのです。
 イエスさまは、十字架にその身を投げ出し、私達の罪の贖いとなってくださいました。そして復活し
今も生きて、私達に愛を注ぎつづけていてくださいます。このお方の愛に具体的に応える行為、
それが献金です。もちろん、献金だけが感謝の応答ではありません。献身としての奉仕、祈りや
伝道もそうだとはおもいますが、献金はとても重要な意味を持っています。なぜなら、お金は私
達の生活に不可欠な物だからです。それを私達が喜んで神様におささげするなら、神様は必ず
喜んでくださり、更なる祝福を与えてくださると約束していてくださいます。そもそも財産、そして命
さえも、神様から与えられたものです。その一部をお返しするのですから、それを惜しむことは
おかしなことですね。
 この感謝祭の日、主に感謝する喜びにみちあふれたいとおもいます。献金させていただくこと、
これはクリスチャンに与えられた喜びであり、信仰の醍醐味なのです!
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師
榊原 宣行