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『全ての人が救われるために』 2005年11月6日 |
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「こうして、全部の者が上陸して救われたのであった。」 使徒27:44 |
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長期にわたるパウロの裁判の舞台は、いよいよローマに移されることになりました。当時の世界の 中心である大ローマ帝国に福音を打ち込むこと、これはパウロの願いであり、神様の計画だったの です。囚人とはいえ、パウロは計画通りにローマへと向かうことになりました。ある意味囚人だから こそ、安全にローマに向かうことが出来たとも言えるでしょう。護衛がつけられ、保護のもとに過ごす ことが出来るのですから。 ところがパウロの乗った船は、途上において難破しそうになってしまいます。9節の「断食の季節」 というのは、9から10月頃ということで、その時期は危険だと考えられていたのです。パウロは航海の プロでは在りませんが、信仰により危険を察知し、警告したのです。ですが、結局船は出航し、この ような事態になってしまったのでした。 しかしパウロは落ち着いて、信仰によって立ち、人々を導きました。その時はもう、航海の舵取りは パウロの手にゆだねられていたのです。こうして人々は、無事に救われたのでした。 信仰を持っていれば、何でもうまくいくわけではありません。人生という航海には、クリスチャンで あろうとなかろうと、様々な出来事が起こってきます。しかし、最終的に救われる、つまり永遠の御国 において神様の恵みを受けるのは、主に在る生き方を選んだ者達です。全ての人が救われるように 聖書はメッセージを発しています。そのメッセージに応え、神様にある生き方を選択すること、これは 人間に与えられた課題です。 大河ドラマの「義経」を毎週みております。義経は戦争の無い、新しい国を目指し生きました。 しかし、その結果は、親族である源氏を殺し、平家を滅亡させ、兄と敵対し、最後は殺されてしまう のです。全ての人が平和を望んでいます。でも、その平和を得ようとして他者を傷つけてしまうので す。これが、この地上の現実です。私もまた、そのような生き方しか出来ないかもしれません。でも、 主に在って生きるなら、救いの道、そして平和の道、他者との和解の道もまた、開かれていくのだと、 聖書は語っているのです。この救いの道を歩みつづけること、そして伝えること、それが私達の使命 です。 |
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ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師 榊原 宣行 |
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