『キリストの復活』  2005年10月23日
「このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」       使徒25:19
 前回からの裁判の続きが、25章の内容です。裁判官は代わりましたが、彼もまたユダヤ人の目を
気にするものであり、公正な人物では在りませんでした。もしローマ行きが駄目になり、エルサレム
での裁判になったら、パウロの不利は明白です。それはイエス様の裁判でもわかりますし、ステパノ
を殺した張本人であるパウロがそれを一番良く知っていたでしょう。もちろんパウロは、キリストの
ために死ぬことは覚悟していたとおもいます。しかし彼は、ローマに福音を打ち込むことが使命
でした。ですから、ここで死ぬわけには行かなかったのです。しかし神様は、またもパウロの知恵を
用いて、ローマへと、ローマへと、導こうとなさったのでした。
 それにしても、パウロの何が問題で裁判をしていたのでしょう?それは、パウロがキリストの復活を
宣ベ伝えていたからです。ここで面白いのは、ローマ人も、またユダヤ人でさえも、キリストの復活
自体を否定していないということです。彼らが拒んだのは、キリストが復活したということを宣べ伝え
ることでした。この時代はキリストの十字架と復活を目の当たりにした人たちが生きていた時代です
から、パウロの証言がウソなら、誰もが指摘したはずです。でもそれは、だれもしませんでした。
キリストが復活したのは、認めざるを得ない事実だったのです。
 今日は午後から、結婚式があります。新郎新婦は、私が以前おりました教会から、このために
おいでになりました。わたしは新郎とは、長いお付き合いです。彼は日本のビジネスマンですから、
大変忙しい毎日です。その中で、子供達の教会学校の先生、そして御老齢の方々の送り迎えを、
毎週喜んでいてくれました。私はそれによって、どれだけ勇気つけられたかわかりません。
 単なるボランティアで、ここまではできません。キリストによって生かされるとは、こういうことだと
思います。キリストは復活し、いまっも生きておられます。生きておられるから、私達に永遠の命を
与えることができるのです。生きているキリストによって、私達もまた生かされるのです。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師
榊原 宣行