『神の声に従う』  2005年10月16日
「わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、
           常につとめています」                    使徒24:16
 パウロは迫害を受け、囚人となってしまいました。しかしそれによって、ローマ行きの道が開かれ
ました。パウロはローマを福音の本拠地にと考えていましたからこれはパウロの思惑通りであり、
神様の不思議な導きでした。
 ところがそこに行き着く前に、裁判が非常に長引き、結果的には二年も足止めを食らってしまった
のでした。パウロの願い、そして神様の計画と見えたものだったにも関わらず、なぜこんなことが起
こったのでしょう?その答えが何なのか「これだ」と言って明確に示すことはできません。しかしよく
言われていることがあります。それは、パウロの書簡のいくつかはこの時期に書かれたのではない
かということです。各書簡の著作時期については様々な説がありますので、不確かな部分はあります
が、もしそうだとしたら、それはとても不思議な神様の計画です。無駄だと思える期間でさえ、必要な
ものとして備えられたということなのですから。
 私たちは、神様の御旨を全部知り得ることはできません。しかし確かなことは、主は最善をなして
くださるということです。そして私たちがすべきこと、それは主の声に聴き従うということです。主の声
とは、聖書の御言葉です。聖書に聴き、祈りによって主と交わり、主にお任せしてあゆむことが、私達
のすべきことだといえるでしょう。
 先週英語部のある男性が結婚式を挙げました。彼は何度かの結婚経験があり、またそればかりか
犯罪を繰り返した男でした。なぜそんなことを私が公で言っているのかと申しますと、彼が、そして親
が、既に大人になっている子供達が、それを結婚式のレセプションの場で語っていたからです。
あまりの彼の変わりように、親も、子供も、そして彼自身が神様をほめたたえていたからです。
 主は、回り道をさせることがあるかもしれません。主の計画は、私達には分からないのです。しかし
主に在って、無駄なことは一つも在りません、主に従う道、これはなによりも確かな道だということを
心に受け止めたいとおもいます。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師
榊原 宣行