『主のみことば』  2005年10月2日
「すると、主は言われました。
                『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」
                                               使徒22:21
 22章には、迫害の中で証するパウロの姿とメッセージが記されています。パウロは、ローマ市民
でした。ローマ人以外の人がローマ市民であるということ、これは大変なことです。大金をはたいて
手に入れたり、長年の兵役についたりして、ようやくローマ市民になることができるというその特権を
パウロはユダヤ人でありながら、生まれながらにして持っていたのです。パウロはローマを福音の
拠点にするという計画がありましたから、ここで死ぬわけにはいきません。ローマ市民という特権を
盾にするという知恵を用いながら、福音を語りつづけたのでした。パウロには、神様からの御言葉が
与えられていました(今日の聖句)。ですから、彼の信念は決して曲がることがなかったのです。
 わたしは、十数年前に牧師になりましたが、神学校に入る直前に救いを受けました。それまでは
遊びに明け暮れた毎日で、神様とは全く無関係の生活だったのです。ですから当時、「主にした
がいます!」という決意だけは人一倍だったのですが、内容がついてきませんでした。聖書の学び
についていけず、祈りもろくにできない状態が続き、入学してからの数ヶ月は「ああ、神学校に
なんて来るんじゃなかった・・・」という後悔がしきりで、涙の夜を毎日過ごしたものです。そんな私が
今あるのは、御言葉による確信があったからです。わたしはエレミア書の御言葉で献身の思いを
持ったのですが、その御言葉が駄目になりそうなわたしをいつも励まし、離れそうになっても主の
元に連れ戻してくれました。私の状況、気持ちは変化しても、神様の約束である聖書の御言葉は
変わらず、私を照らしつづけたのです。
 御言葉によって生きるということは、素晴らしい恵みです。パウロは主のみことばによって確信を
得て、命をかけて主を宣べ伝えることができました。「あなたを愛しているよ」という主の御言葉、その
約束は、決して変わることはありません。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師
榊原 宣行