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22章には、迫害の中で証するパウロの姿とメッセージが記されています。パウロは、ローマ市民 でした。ローマ人以外の人がローマ市民であるということ、これは大変なことです。大金をはたいて 手に入れたり、長年の兵役についたりして、ようやくローマ市民になることができるというその特権を パウロはユダヤ人でありながら、生まれながらにして持っていたのです。パウロはローマを福音の 拠点にするという計画がありましたから、ここで死ぬわけにはいきません。ローマ市民という特権を 盾にするという知恵を用いながら、福音を語りつづけたのでした。パウロには、神様からの御言葉が 与えられていました(今日の聖句)。ですから、彼の信念は決して曲がることがなかったのです。 わたしは、十数年前に牧師になりましたが、神学校に入る直前に救いを受けました。それまでは 遊びに明け暮れた毎日で、神様とは全く無関係の生活だったのです。ですから当時、「主にした がいます!」という決意だけは人一倍だったのですが、内容がついてきませんでした。聖書の学び についていけず、祈りもろくにできない状態が続き、入学してからの数ヶ月は「ああ、神学校に なんて来るんじゃなかった・・・」という後悔がしきりで、涙の夜を毎日過ごしたものです。そんな私が 今あるのは、御言葉による確信があったからです。わたしはエレミア書の御言葉で献身の思いを 持ったのですが、その御言葉が駄目になりそうなわたしをいつも励まし、離れそうになっても主の 元に連れ戻してくれました。私の状況、気持ちは変化しても、神様の約束である聖書の御言葉は 変わらず、私を照らしつづけたのです。 御言葉によって生きるということは、素晴らしい恵みです。パウロは主のみことばによって確信を 得て、命をかけて主を宣べ伝えることができました。「あなたを愛しているよ」という主の御言葉、その 約束は、決して変わることはありません。
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