『断食の祈り』  2004年10月31日
「それは、あなたがたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に
見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」
                                                マタイ6:18
 現代でも、断食して祈る人もいれば、そんなことはしたこともないという人もいます。そもそも、断食
の祈りとは、何でしょうか?イエスさまは、断食が必要だとか、必要じゃないとか、そういうことは
言っていません。「見せびらかさないように」といっているだけです。それはつまり誰が見ていようが
いまいが、神の前に正しく歩むということ、それがイエス様の強調点です。断食の祈りとは、全てを
止めて、祈りだけに集中するために行われるものです。つまり、その本質、神さ様だけを見つめて
祈る、生きるということを、私達は目指していくべきだということなのです。
 私は進行を持つ前、自分のために生きていました。しかしその結果、人生に疲れ、自暴自棄に
なっていました。自分のために生きているはずが、自分を不自由に追い込んだのです。ところが
キリストを中心に生きるようになって、自分が自分であるということ、キリストのために生きることが
すなわち自分のために生きる自由が与えられるのだということを、味わうこととなりました。
 キリストの愛のうちに生きるということ、キリストのために生きるということを選び取るならば、その
人の人生は、結果としてすばらしい人生となるのです。断食していなくても、主から目を離すこと
なく祈り生きようではありませんか。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部
榊原宣行牧師