『真実な生活』  2004年10月3日
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい」
                                                 マタイ6:3
 イエスさまは山の上で、様々な教えを語られました。それは単に、道徳的な教えではなく、神様と
の関係においてそれらは語られ、実が結ばれていくものだったのです。上記の聖句も「良いことは
隠れてやりなさい」という、単なる訓示ではないのです。
 ある日友達と買い物に出かけたときのことです。駐車場に停めてある自動車に乗ろうとした時、
一人の女性が声をかけてきました。彼女の車のバッテリーがあがってしまい、何とかしてくれないか
ということでした。通常私は自分の自動車にバッテリをつなぐケーブルを入れていますので、「OK
すぐにやってあげるよ」といったのです。ところがその日に限ってそれを別の自動車に入れてしまっ
ていたのです。ですから「ゴメンなさい、持っていませんでした」といって、私は立ち去ろうとしました
ところが友人は「かわいそうだから、ケーブルを持っている人を探してあげよう」と言い出しました。
私は内心「え?自分で探せばいいじゃん」と思ったのですが、仕方なく、周囲にいる人に声をかけ
ることにしました。しばらく数人の人に声をかけて結果、ケーブルを持っている人が見つかり、無事
に彼女の自動車を動かすことが出来ました。お礼を言う彼女に向かって私は「当然のことをした
までです、クリスチャンですから」といったのですが、後になって偽善的の自分の内面を恥じたこと
でした。
 神様との関係が確かでないと、真実な生活は生まれてきません、2節には「偽善者」という言葉が
出てきます。偽善者は、原語であるギリシャ語を調べてみると「俳優」という意味があることがわかり
ます。仮面をかぶって演じることが、偽善的であるというのです。神様を基とした真実な生活を目指
していこうではありませんか。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部
榊原宣行牧師