『愛するということ』  2004年9月26日
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」       マタイ5:44
 人間は、間違いを正そうとした時、懲らしめようとします。その悪い例として上げられるのが、戦争
でしょう。しかしイエス様は、愛することによって解決するという方法をお示しになりました。でもこれ
は実に難しいことです。
 先週シアトルにあるキリスト教超教派の集会のメッセンジャーとして招かれて、行って参りました。
そのときに、証者として立てられていたのは、イ・チソンさんとおっしゃる韓国人クリスチャンの方で
した。この方は、数年前に交通事故にあって、全身に大やけどを負いました。命は取りとめたものの
55パーセントのやけどによる後遺症はひどく、完全に癒されることはありませんでした。今尚治療を
続ける彼女の姿は、以前の写真とは別人なのです。しかし彼女は主によって喜んで生きています。
事故を起こしたのは、泥酔した運転手でした。その人からの謝罪は未だに無く、誠意の一つも見せ
られていないということです。それでも、彼女も家族も、誰もその犯人を恨みません。神様の愛が
彼女達の心を支配しているからです。
 主の愛に生かされるとは、何と大きいことだろうと、改めて思わされました。イエス様は私達の罪
のために十字架で死なれました。神様に向かって唾を吐きかけるような生き方をしたものに対して
主は愛を示されたのです。それを知った者は、互いに愛さないでいられるでしょうか?
 私はそれを、無理にするひつようは無いと思っています。チソンさんにとっても、それは自然に
与えられた恵みでした。ですから気に入らないなら、気に入らない、愛せないならそうだということを
神様に申し上げればよいのです。そうしたら。神様は時を備え、いつしかあなたに平安と和解を
与えてくださるはずです。主の愛のうちを歩もうではありませんか。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部
榊原宣行牧師