『祈り』  2004年9月19日
「天にいます私達の父よ。御名があがめられますように。御国が来ますようにみこころが天で
行われているように、地でも行われますように。私達の日ごとの糧を今日もお与えください。
私達の負い目をお赦しください。私達も私達に負い目のある人を赦しました。私達を試みに
あわせないで悪からお救いください。」       マタイ6:9−13
 誰も何も聞いてくれないと思っているときでも、神様は私達に一人一人話しかけ、また導いて
おられます。祈りを通して私達と神様の関係が保たれているのです。祈りとは「神様に依存して
いることを宣言する」ことだといった人がいます。まさにそうです。私達は神様に頼って生きています

弟子達が祈り方を教えてくださいとたずねたとき、イエス様は冒頭の「主の祈り」を教えられました。
しかしこれはイエス様が神様にされる祈りではなく、私達の祈りです。皆さんは何回もこのところから
メッセージを聞かれたとおもいますが、何度聞いてもも同じメッセージと言う物はありません。また
全部覚えている人はありません。説教で大切なのは、ほんの少しでも神様があなたに何を示そうと
されているか感じることなのです。

さて、私達にはそれぞれ異なった父の思い出があります。優しいお父さんも、厳しいお父さんも
います。しかし、最もすぐれた素質をもった完全な父など地上では見つかりません。それは天に
おられる父のみです。また、転職して気づくことは、私達が住んでいる家は永久ではないということ
です。実に、この世に永久なものなど存在しません。
天国は人間の秩序が神の秩序に変わるところです。またワールドヴィジョンのピアース氏は「神様の
側から見た人間の状態は見た場合どう見えるのか、たずねてみたらどうだろうか」といっています。
神様は私達に何をなされ様としているのかたずねたらどうでしょうか。また一方私達が神様のため
に何をしているだろうかと考えるときに、実に適切なしかも神学的に深い表現があります。”What on
Earth, are you doing for heaven's sake?” しかし、これは日常子供達をしかるときに
「一体全体、何でそんなへまをやるの!」と言う意味で使われます(笑)
日ごとの糧ならず私達は半年分とか頼まないといつも不安です。しかし。いくら明日のことを考えて
安全を図ろうとしても、神様無くしては本当の安心は無いのです。神様からいただく糧は一日ごと
で安心できるのです。

この世は憎しみ怒りに満ちています。私達はよく、周りの人に対して苛立ち、争います。私達が
喧嘩相手を赦さないと、相手の人生を傷つけ、相手を惨めにすると思ったりしますが、じつは
自分自身の人生を損なってしまうことになるのです。聖書に「放蕩息子」のたとえ話が出てきます
(ルカ15章)。同じ章の最後では兄は弟のことを許せず、帰ってきた弟に宴を催す父に怒って
います。聖書はその後兄がどうなったか書いていません。その兄とは私達一人一人のことです。
わたし達は怒ったまま外にたって宴会に交わらないでいるのでしょうか。それとも弟を許し、父の
催す祝いの席に集い楽しい祝福された交わりに加わるのでしょうか。この兄の結末はあなたが
書かなければなりません。あなたなら、どうしたでしょう。
ペニンスラフリーメソジスト教会英語部
ジム・モンク牧師
(訳:日語部信徒 井口弘)