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イエス様は山上で、様々な教えを語られました。その中には、上記の聖句のように、人間関係に おける道徳のようなことも、あります。しかしイエス様は、ただ単に道徳的な教えとして「仲良く やりなさいよ」と教えを述べたのではありません。人間関係における和解に必要なものは何か、 それより前に、なぜお互いの関係に不和があるのか、そのところを教えているのです。 聖書は、人間は皆「罪人(つみびと)」であるといっています。「別に、何も罰せられるようなことは してないよ」とおっしゃる方もおられるかも知れません。しかし、法的に罰せられるようなことはして いなくても、それでも人間は例外なく、罪人なのです。なぜなら聖書が言う罪と、一般的に言う罪 とは少し違っているからです。 一般的に罪というと、盗んだとか、殺したと言うようなことを指すでしょう。しかし聖書はその根源 にある問題についていっているのです。例えば盗むと言う行為、これは自己中心から出ています。 自己中心がダメなら何を中心にすればいいのか・・・それは神様です。神様を中心として生きる ことが、神様の教えるところです。そこからずれているなら、それが罪と言うことになります。その点 から言うなら、誰も「私は罪人ではない」とはいえないでしょう。神様への罪が、人間関係の中で 罪を生み出しているのです。 ですから人は、正しい人間関係を持とうとするなら、まず神様と和解しなくてはなりません。 神様と和解するなら、人間同士にも和解が生まれるのです。イエス様は、和解の使者として地上に 来られました。そのお方を心にお迎えするならば、お互いの間にも和解が与えられるのです。 |
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