『まことの和解』  2004年8月29日
「あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。」
                                             マタイ5:25
 イエス様は山上で、様々な教えを語られました。その中には、上記の聖句のように、人間関係に
おける道徳のようなことも、あります。しかしイエス様は、ただ単に道徳的な教えとして「仲良く
やりなさいよ」と教えを述べたのではありません。人間関係における和解に必要なものは何か、
それより前に、なぜお互いの関係に不和があるのか、そのところを教えているのです。
 聖書は、人間は皆「罪人(つみびと)」であるといっています。「別に、何も罰せられるようなことは
してないよ」とおっしゃる方もおられるかも知れません。しかし、法的に罰せられるようなことはして
いなくても、それでも人間は例外なく、罪人なのです。なぜなら聖書が言う罪と、一般的に言う罪
とは少し違っているからです。
 一般的に罪というと、盗んだとか、殺したと言うようなことを指すでしょう。しかし聖書はその根源
にある問題についていっているのです。例えば盗むと言う行為、これは自己中心から出ています。
 自己中心がダメなら何を中心にすればいいのか・・・それは神様です。神様を中心として生きる
ことが、神様の教えるところです。そこからずれているなら、それが罪と言うことになります。その点
から言うなら、誰も「私は罪人ではない」とはいえないでしょう。神様への罪が、人間関係の中で
罪を生み出しているのです。
 ですから人は、正しい人間関係を持とうとするなら、まず神様と和解しなくてはなりません。
神様と和解するなら、人間同士にも和解が生まれるのです。イエス様は、和解の使者として地上に
来られました。そのお方を心にお迎えするならば、お互いの間にも和解が与えられるのです。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部
榊原宣行牧師