『陶器師なる神』  2004年8月15日
「見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、
                                     あなた方も、私の手の中にある。」
                                             エレミア18:1−6
神様は預言者エレミヤに、「粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家も私の手の中に
ある。」と語られましたが、私達にも「あなた方は粘土であって、私の手の中にある。」と語っていま
す。 当時(BC600年頃)、南ユダは神様に背いて歩んでいました。エレミアはそんな南ユダの様子
に心を痛め、涙を流しました。その南ユダに「陶器師なる神」は、「バビロン捕囚によりあなた方は
荒れ果てるが、私の計画はあなた方に将来と希望を約束する。」と語られたのです。今日、日本人
の多くは「神はいない」という生活をしており、日本はエレミアのいう「涙の泉」がいくつあっても
たりないのではないでしょうか。しかし神様は救いの計画を備えて、永遠の愛を持って私達に真実
を尽くされるかたであると聖書は教えています。 6年前にレイオフされたとき、私は自分が全く価値
のない者のように思われ、「もうだめだ」と言う絶望感に襲われたことがありました。そのとき、朝のう
ちに聖書を開き、家内と一緒に祈る経験を経て、神の義を第一とすることを教えられました。
4ヵ月後に与えられた仕事はメーケティングとセールスでしたが、それによって人々に仕えることを
教えられました。
今振り返ると、これは私が将来献身して牧師になるための必要な備えでした。「陶器師なる神」は、
今までのものを完全に壊して、新しい器に作り変える方であることを知りました。神様のこの御業は
自分が神学校に行った今もやむことなく続いています。
 「陶器師なる神」は私達を作り変え、それを生涯に渡って続けてくださいます。それは私達が
キリストに似たものになり、神の栄光を現す者になるためです。
 私達は神様の御手の中の粘土です。「陶器師なる神」は、試練を用いて私達を作り変えてくださる
のです。この神様に大いに期待していこうではありませんか。
東京聖書学院 修養生
松平他家夫