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山上の垂訓は、まず幸いな人ということをテーマとして語られました。それが9つ語られた後、 結論のようにして言われた言葉が、今日の聖書の個所と、次週の個所であります。 塩とは、純潔を表すものであり、防腐の役目、味付けの役目をもっています。これが無ければ、 料理の殆どは成り立ちません。それほど大切な役目です。キリストは十字架と復活の事実によって この世をきよめ、腐敗をただし、人生を素晴らしく豊かなものにしてくださいました。そのキリストに 在るなら、私達もまた、地の塩としての役目を果たすことが出来るのです。 しかしそれは、自分を無にして、がまんして、他者のために苦労しなさい、というものではないと おもいます。自分を一番生かす道を探していくなら、他者を生かす塩となる、他者を生かそうとする なら、結局自分が一番生きることになる・・・これが聖書の真理ではないかと思うのです。 私の恩師であるF先生は、子供のときに登校拒否になり、「勉強したい」と思ったときには20歳 だったそうで、それから中学に入りなおしたそうです。そこで一生懸命勉強して、結果として東大 の大学院を卒業されました。先生は20歳で中学生になったとき、休んだクラスメートのために、 その日の授業のノートを書き写してあげたそうです、コピーの無い時代ですから、毎日誰かのため にそれをするということは、大変なことだったでしょう。しかしそれによって一番得をしたのは自分 だったというのです。なぜなら、知らず知らずのうちにその日の復習をすることになり、書き写すこと によって内容が記憶されていったからと言うことでした。 福音とは、そういう不思議な道です。他者のために、世のために地の塩となるなら、自らがもっとも 輝いているいきるという道が開かれていくのです。 |
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