『キリストによって生きる』  2004年7月11日
「私のためにののしられ、迫害され身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
 あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
                                               マタイ5:11〜12
 キリストのために迫害される人とは、キリストとともに生き、キリストによって生かされている人です。
その人は、たとえその人生に苦しみがあっても、幸いだと言うのです。なぜなら天国において受ける
報いが大きいからです。
 先日、アシカの調教を見てきた人から、こんな話を聞きました。「アシカが言うことを聞かないとき
にはどうすると思う?えさを抜いたり、鞭で打ったりしてお仕置きをするのではなく、無視をすること
が一番効果があるということだよ」と言うことです。
 私達は神を無視して生きてきました。それが人間の一番の罪です。その罪の身代わりとして、
十字架においてイエスキリストは死んでくださいました。そして復活し、いまもとりなしの祈りをして
くださっています。このお方を信じると言うことは、こちらの都合でなされることではありません。
人生に何が起ころうと、良いことがあろうと、悪いことがあったとしても、主を第一とするのが人間の
本分なのです。しかし主は、たとえ悪いことが起きたとしても、天国で大きな報いがあるということを
約束してくださっています。これはなんと言う恵みでしょうか.
 主を第一にして人生を歩むなら、私達はこの人生を、明日を歩む力が与えられます。
いろいろなことが人生には起こって参りますが、それを乗り越える力は、ここからやってくるのです。
ペニンスラフリーメソジスト教会日語部牧師
榊原宣行