『いのちの水』 2002年12月29日
「だれでもかわく者は、わたしのところへきてのむがよい。わたしを信じるものは、聖書に
書いてあるとおり、その腹からいける水が川となって流れ出るであろう」  ヨハネ7:37−38
イスラエルを旅行した方なら良くお分かりのこととおもいますが、乾いた地である聖書の世界
では水の持つ意味は私達にとってよりも重要です。その水と救いをかけてイエス様はこの
言葉をおっしゃいました。イエス様には永遠に渇くことの無い水があり、そのお方によって
生きるなら、私達の内側からいのちの水があふれ出るのです。
私は先ごろ、故三浦綾子さんがおかきになった『塩狩峠』を読みました。実在した人物を元に
して描かれたその主人公の生き方に触れながら、いのちの水があふれ出る生き方とはこう
いうことだち思いました。私も以前は渇いており、いける水を求めて生きておりました。しかし
聖書に対しては「キリスト教は、科学的に証明されなければ信じることは出来ない」と、簡単に
心を開くことは出来ませんでした。でもまことの救いを受け入れ、いのちの水をいただいて
10年になります。まことの救い主に出会い、いのちの水をいただいていることに心から感謝
しております。
いのちの水のことは、旧約聖書にすでに預言されていました。私たちは約束を簡単に破った
りする弱さを持っていますが、神様は決して良く側を破らず、イエス様を通していのちの水を
与えてくださいました。いのちの水の源であるお方を仰ぎ見て、これからも歩んでまいり
ましょう。
ペニンスラフリーメソジスト教会 日語部会員
松平 他家夫