『聖なる公同の教会、聖徒の交わり』 2002年11月10日
「キリストを基として...体を成長させ、愛のうちに育てられていくのである」 エペソ4:16
今回は、「教会とは何か?」に対する答えのような個所です。使徒信条では、その教会に
ついて告白しています。
教会とは、建物があって牧師がいて・・・と言うことをもちろん意味しますが、それはもっと
深い意味で、キリストを頭として、その体を形成するために集められている共同体と言うこと
です。そしてそこは、聖い人たちの交わりだと言うのです。これを聞くと「ああ、そうなんだ
だから教会の人たちはどこか聖い感じがするんだな」と思う人もあるいはおられるかもしれ
ませんが、ある人は「え?教会の人たちって、そんな聖いかな?」と思うかもしれません。
しかしそれでも使徒信条では、そこには聖徒の交わりがあるのだと主張しています。
これはどういう意味でしょうか?
それは、神様側から解釈すると意味がわかります。つまり私たちは教会に来ていようと
来ていまいと、神の目からは本来的には聖い存在ではありません。しかし愛なる神は、
私たちのことを「聖いよ」とおっしゃってくださいます。その神の一方的な愛によって「聖い」
といわれた人たちの神にある交わりが、キリストを基とした集いの中ではされているのだ・・・
使徒信条はこのように告白しているのです。
キリストを頭とした教会において、人は神の愛を知り、本当の意味で人間として成長する
ことが出来るのです。
ペニンスラフリーメソジスト教会 日語部牧師
榊原 宣行