『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け・・・』 2002年08月11日
「私はこの人には罪を認めません。」
                                               ヨハネ19:6
使徒信条には、三人の名前が出てきます。1人はイエス様、もう1人はマリア、そしてイエス様
を裁いた総督ピラトです。イエス様やマリアが登場するのは当然ですが、何故ピラトのような
人が出てくるのでしょうか?
それは、神の愛が日付を持ったと言うことを意味しているのではないかと思うのです。私たち
が歴史を語るとき、「誰々天皇の時代」とか「徳川幕府の時代」などと表現します。それは確か
にその時代に起こった出来事であることを示す表現です。イエス様の十字架の救いも架空の
出来事ではなく、確かに歴史にその時を刻んだと言うことです。このピラトは上記の聖句の。
ように、イエス様には罪がないことを証言しています。しかし彼は民衆を恐れて、正しい裁判を
することが出来ませんでした。自分の立場や損得しか考えない彼の姿は、私たちそのもの
です。その心がイエス様を十字架につけました。
しかし実際はこの出来事は彼の権威によったのではなく、神様の救いの計画でした。
私たちの罪の身代わりとしてこの地上において死なれたお方、そのお方に感謝しつつ、
私たちは歩もうではありませんか。
ペニンスラフリーメソジスト教会 日語部牧師
榊原 宣行