『ここに愛がある』 2002年03月10日
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの
供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
                                          ヨハネ第一の手紙4章10節
私が日本にいたと頃、明治学院中等部に呼ばれて朝礼のお話をしたことがありました。そのとき
に神の愛をお話しようと思い「まことの愛とは・・・」と言ったとたん、何人かの中学生がクスクスと
笑うのです。別に面白い話をした場面でなく、ただ「愛」と言っただけなのに、なぜか笑う生徒が
いたのです。後々考えてみると、生徒たちが想像した愛とは私が言おうとしていた愛とはずい
ぶん違う「恋」のことだったのでしょう。だから「あの牧師、まじめな顔をして愛って言ってるよ。
クスクス・・・」となったのでしょう。
ギリシャ語ではいくつか愛についての用語がありますが、上記の聖句に使用されている愛と
いう字は「アガペー」と言って、最も崇高な愛を表現するときに用いられるものです。人は聖い
神の前に、実に罪深い存在です。しかしその罰せられるべき滅びの身代わりに、イエス・キリスト
は十字架で死んでくださいました。神の前になだめの供え物となって死んでくださった故に、
私たちは神に赦され、救われたのです。ここにまことの愛があります。この愛を知ったとき、本当
に愛するという意味がわかり、人間関係においても愛の関係が結ばれていくのです。
ペニンスラフリーメソジスト教会 日語部牧師
榊原 宣行